先日、久しぶりに事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)に足を運びました
この地域では「言(こと)のまま」に願いを叶えてくれる神さまとして敬われていて
パワースポットとしても大変人気のある神社です。
主祭神は
己等乃麻知比売命
(ことのまちひめのみこと)。
HPの説明によれば、
「こと」は事であり言。
「まち」は麻知であり真知。
「御言葉を以て、また事になぞられて顕世に御力をいたされる、真を伝えられる神さま」なのだそうです。
でも、すでに清少納言の枕草子では「ことのままの神」
つまり願い事のままにかなえてくださる神として伝わっていたようです。
昔はひと続きだった本宮と里宮(本殿)は現在県道で分断されてしまっています。
朱色の歩道橋を渡ると、本宮山の入り口があります。
そこから石段を270段、えっちら、おっちらと登っていきます。
(結構急な登りとなりますので入り口には杖が備えられています。)
訪れた日は初夏の陽気
ことのままの神さまの前に到着した時には汗だくです
でも、久しぶりに山道を登って木々たちの清々しい香りに包まれると、
体の興奮とは反対に心はスッキリと落ち着いているのが分かります。
神さまのもとに着いたとき
たまたま自分以外には誰もいらっしゃらなかったので、
備え付けのベンチに座ってしばし神さまを独り占めしました。
深く呼吸することを意識しながら
これまでのことを少し思い返しました。
コロナ禍で、遠出に限らず
「出かける」こと自体躊躇い、知らないうちに
少しずつ身体も視点も小さく縮こまってしまっているような気がしました。
もっと遡ること3年前。
それでも奇跡が起こってほしいと、
病床の母の下に行く前に
毎日本宮に登っていました。
でも、厳かで清々しい場所に身を置くと、地に足をつけた自分を意識することが出来るような気がします。
「いま、ここ」に、私はいるんだと。
この神社の大杉様や大楠を見ると、
私がやりたいことは、
誰かにとって雨宿りをしたり
日差しを和らげたりできる場所を
提供したい、ということなんだな。
といつも再認識します。
そのためには自分という「木」が太く、しなやかに成長せねばなのですが。
それが一番難しい
くぅぅ〜